事例研究は面白い。とりわけ、比較の観点がしっかりありながら、個別事情を忘れない分析からは学ぶことが多い。
畑村洋太郎「失敗学実践講義 文庫増補版」(2010、講談社文庫)はそのような本である。とくに、六本木ヒルズの回転ドア事故を扱った第1講は力が入っている。本書全体にも言えることだが、特定の事故原因の技術的追及(回転ドアが重く速すぎること)に加えて、いやそれ以上に、人間の心理や文化、社会・組織のありかたについての指摘・分析が多い。いわく、事故原因の究明を「責任追及のための調査」にしてしまうと無難な見方しか出てこず、せっかくの調査が事故の再発防止に役立てられないこと、安全対策を機械を使用する側の「個人の自覚」に頼る考え方には無理があること、しかしながら他方で、安全になりすぎたせいで人間の危険感知領域が狭くなり、それによって起きる事故が増えているようにみえること、など。製品の設計・開発者が「技術の来歴」の調査を行わなかったことで、もともと軽量かつ遅い回転ドアが似ても似つかぬものいなってしまい、「衝突力低減のためには軽量化しなければならない」という知識が欠落してしまった、という指摘は興味深い。
第2講はJALの連続トラブルを取り上げ、人間の注意力には限界があるため、重要性の階層を理解したうえで「いい加減にやる」ことの意義を強調している。また、マニュアルは「守るためにある」ものだが、同時に「変えるためにある」、真に意味のあるマニュアルにするためには、使う人自身が自分で考えてマニュアルを作っていくべきだと述べている。
その他の事例には、企業文化や社会的プレッシャーなどが出てくる。JR福知山線事故におけるJR西日本のポジション(第3講)、リコールという行為のもつ社会的意味合い(評価)が日米で異なることや、品質管理部の社内での力の有無に会社の姿勢が表れること(第5講)など。H2Aロケット打ち上げ失敗が経営トップや当事者を不必要に追い込んでしまう事例(第8講)は、失敗を許さない日本の社会的圧力をよく物語っている。
第9講は「現地」「現物」「現人」の「三現」で行動しないと真実は見えない、ということを、JR羽越線脱線事故を例にとって議論している。仮説設定と実地での観察・現場のひとびとの暗黙知のすくいあげの組み合わせによって真実に迫っていく記述は推理小説のようで面白いが、ここでも、実際にひとびとの暗黙知をすくいあげるためには、「共鳴力」(共通の認識を持っている人同士の間で成立するコミュニケーション)が必要だという、社会心理学的と言ってもよいような話が出てくる。
一度起きてしまった事故を社会の共有財産として社会が積極的にとらえる必要がある(p. 247)との指摘を、個々の事例の分析手法および結論が裏付けていて説得力がある。そして、当然このような見方は、企業経営や組織運営を考えるうえでも重要である。
Bookbinder's note:
「失敗学」をより広い「社会技術」という枠組みに位置付けるものとして、堀井秀之編「安全安心のための社会技術」(2006、東京大学出版会)。畑村の上掲書では触れられていない医療や防災に関するケースが興味深い。工学という、問題解決型の学問が、その性質上、技術の担い手かた受益者である人間・社会と密接に関連しており、文系と理系という区別に意味のないことがあらためて感得される。
食品・食料については、松永和紀「食の安全と環境」(2010、日本評論社)が、科学的根拠に基づく「安全」ではなく、心情による「安心」を満たすために、資源の無駄が増え環境負荷が大きくなっていると指摘する。安心志向を無条件に肯定することをよしとしない価値観を消費者が持つことはいかにして可能だろうか。
技術と安全、そして安心。畑村の提唱する「危険学」を一般社会人が素養とすべきだろう。
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